守護のお兄さん(Tomoちゃんの大切な故人、今は守護霊さん)からの光次元メッセージ
理解されることが全てじゃない
それは「理解されない」ということでは無いんだよ。
言葉で説明しても、絵で説明しても、理解不能なことが必ず有る以上は。
「大切な故人はどこへ行ってしまったのだろう?」
「天使や女神はどこにいるんですか?」
など聞く人も多いけれど、
「いつもそばにいる」という事実を告げても、簡単に「はいそうですか」とはなかなか行かないものだ。
ましてや「鏡の向こう側のような、コインの裏側のようなところ、背中合わせのような感じの所に居て、そこから手助けをしている」
という事実を伝えられても、君たちは遠く遠くへ探し出そうとするだろう。
まるでそれは「幸福」というものが遠い場所に必ず有るものだという先入観に似てるね。
「幸福の青い鳥」のお話を君は知っているかい?
それは自分の一番良く知っている身近なところに居たんだ。
それと同じような感じで、私たち故人も天使や女神も身近な領域に存在している。
とは言っても、それを皆が皆、カンペキに理解出来るかと言ったら必ずしもそうではない。
そんな感じのことが実際に有るのだから、何事でも「理解されること」が全てではないし「理解されないこと」ばかりとも限らない。
だからと言って、伝えることを諦めることはナンセンスだ。
それを知ること・学ぶことも生きる理由の一つ。
何度だっていい、何だって良い。
「伝えること」を諦めないで。
必ず解るし、
それが例え理解されなかったとしても、
伝えた分だけ君の存在を知る人が増えることに間違いはないんだから。